かけひきは、恋のはじまり 【称号:佳作】
ジョージ・クルーニーってケーリー・グラントやクラーク・ゲーブル、ゲーリー・クーパーやグレゴリー・ペックなど往年の二枚目俳優を彷彿とさせる気品ある顔立ちをしている。そんな彼が「俺ってちょっといかしたチョイ悪オヤジだろ」と言わんばかりに自分を主演とした作品の監督を務めた。最近はシリアスな政治ものが多かったジョージ・クルーニーだけどこの人はこういうロマンティック・コメディが似合うと思う。現代にオードーリーがいたとして「ローマの休日」を撮るなら相手役はこの人かな。
舞台は1920年代のアメリカ。禁酒法でアル・カポネやアンタッチャブルがドンパチしていた古き良き時代です。戦争の気配も色濃く大不況などもあいまってアメフト選手だった主人公たちはスポンサーの撤退によって解雇を余儀なくされてしまう。まるで今のJリーガーみたいなもの。しかしアメフトしか知らない彼らにまともな職などあるはずもなく、クルーニー演じる主人公は大学リーグの花形選手カーターを引き入れてチームを立て直そうとするお話。
いわば30年代から40年代にアメリカで流行ったスクリューボール・コメディをそのまま再現したような作品。スクリューボール・コメディとは常識外れで風変わりな男女が喧嘩をしながら恋に落ちるというパターンのロマンティック・コメディ。スクリューボールとは野球の変化球のことで「常識外れで風変わり」な男女を意味するそうだ。当時はヘイズ・コードという殿方にとってはあまりありがたくない映画倫理規制があってエッチなシーンはNGという制限があった。だからこそ安易にエッチに走るのではなくいかに恋愛のプロセスで楽しませるかということに製作者たちは知恵を絞っていた。当時のロマコメが良質だと感じるのもそういう背景があったからと考えることができる。たとえばホラー映画でも残虐描写満載のスプラッター志向になってから明らかに作品の質は落ちている。「エクソシスト」「オーメン」「ローズマリーの赤ちゃん」といったオカルトが優れているのも残虐描写に頼らない本来の怖さで勝負しているからだと思うわけだ。
現代のラブコメは「セックス・アンド・ザ・シティ」みたいにどいつもこいつも節操なくパンツを脱ぐ。そこへもって露骨な同性愛とか絡んできたりして妙に生々しい。本来、恋愛とは恋に落ちてそれをどのように伝えるかそのプロセスが面白いのであって現代の映画は衝撃的な展開ばかりで肝心なことがないがしろにされている気がする。こんな時代だからこそ、こういったスクリューボール・コメディがかえって斬新なのだ。よく20年代から50年代が「古き良き時代」と表現されるがこういった映画を見るとそれも分かる気がする。なんといっても安心して見ていられるところがよい。
そんなわけで実に「おおらかな」映画だ。もちろんベースは性善説で成り立っている。みんな夢や希望を持っていて正義を信じている。本当の意味で悪い人間はいない。主演の二人もこの手の映画におそろしいほどピッタリとはまる。ヒロインのレニーも相変わらずのモテるブスだが、この人は銀幕では本当に魅力的に映るから不思議だ。まさにブスたちの希望の星。この映画でも当時の女優たちが演じていたチャーミングな役をほぼ完璧に再現している。
おおらかな時代のアメフトがプロ化するにあたり、それらを統括する組織ができて権力が生まれてさまざまなルールや契約でがんじがらめにされていくプロセスも興味深い。現代の野球でもサッカーでも相撲でもそうだけどスポーツとは縁のないような老人たちが出てきては命がけで戦っている選手たちを押さえつけていく場面をワイドショーやニュースでよく見かける。大相撲でも内館牧子みたいなうるさいオバサンが「横綱の品格」だのくだらない正論を吠えまくる。品格がないのはオメーの顔だよと言いたくなるがまるで彼らを怒らせたらプロとしてプレーができないような雰囲気すら感じさせる。プロスポーツがショー化されたり、権力の道具にされてしまうのは実に不愉快なことだ。
というわけで設定は古くさいしテンポはスローだし映像はレトロだけど当時の良質さまで再現されているところがうれしい。最近の恋愛総当たり戦みたいな節操のないラブコメに慣れてしまうと物足りないかもしれないけど、恋愛ものってこのくらいがちょうどいいのかもしれません。(62点)

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